「恋の予感」の話。

春ですね。雪が降るぐらい寒い毎日でございますが。

稲の品種の話です。

「コシヒカリ」とか「ササニシキ」とかのアレです。酒好きの方なら「山田錦」とかご存知かも知れませんが、広島では「ヒノヒカリ」を植えることが多いようです。

3年前ぐらいから田んぼを引き継ぎまして、稲を育てているところですが、だんだん収量が減ってきていて、昨年は「えっこんだけ?」ってぐらいしか採れなかった。

精米所の大将の話では、「ヒノヒカリ」を植えたところは今年(昨年)はどこも収量が悪かった、とのこと。籾の段階ではそこそこ収量があるのですが(それでも「少ない」が)、精米するとメチャクチャ減ると。

要は籾が「スカスカ」な訳ですが、

うちだけそうなら私の育て方が悪いのだと思いますが、どこもそうなら「暑さのせい」でしょ。

今年は暑さに強い品種を植えようと思っていたところで、苗が無ければ鹿児島とか熊本とか、広島より暖かい地域から籾を取り寄せて苗床から作ろうかと本気で考えていたところですが、

農協から注文書が送られてきて、中を見ると「耐暑性品種」があるとのこと。数量限定なのでセンターへ電話で問い合わせるように、と書いてあります。

よっしゃ、

今年は
恋の予感
じゃ。

電話してみました。

あのすみません。申込書を頂いたのですが、耐暑性品種の「恋の予感」まだありますか?

――申込書の「ヒノヒカリ」を二重線で消して、「その名前」を書いて頂いたら大丈夫です。

「恋の予感」って書いたら良いですか

――そうです。「その名前」です。ヒノヒカリを消して「それ」を書いていただいたらOKです。

電話の相手に何とかして「恋の予感」と言わせようとしましたが断念しました。

「恋の予感」とか、自分の日記帳にも書いたことが無いが、cinquante et un 歳にもなってこの文字列を言わさせられて書かさせられるとは思っていなかった。

もうすぐバレンタインデーだそうですが、うちには5月の半ばに稲の苗が届くだけです。

皆様も是非、米穀店にこの銘柄を指定して「電話で」注文なさってくださいませ。

恋の予感 https://www.jafukuyama.or.jp/pages/27/

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cinquante et un ans

昨年の5月に父親が亡くなった話は書いたと思いますが、

相続した実家の庭や畑からゴミが大量に出てきていて、掘れば掘るだけいろいろなものが出てきます。父親は木の枝でも鉄くずでも埋めれば消えると思っていたようです。

そうとしか考えられませんが、

覚えておいてください。木の枝を土に埋めても5年や10年ならそのままの形で埋まってます。

掘ったらそのまま出てくる。

嫁がいろんなところをほじくり返してキレているところですが、ゴミも相続したので仕方が無いのか。

相続財産の中に「保安林」をみつけまして、スマホのGPS機能を頼りに現地まで行ってみました。

私が中学2年生の頃、祖父が亡くなって、一段落ついた頃に父親と一緒に近くまで来たことがありますが、当時はGPSなどありませんでしたのでどこにあるのかよく分からなかった。登記簿で確認すると昭和62年のことです。

ということで父親はどこに相続した土地があるのか分からずに亡くなったことになります。私は昭和62年以降の文明の発達のお陰で場所を探し出すことができた。

GPSが言う通りに山の中を歩いていくと、登山道からだいぶ外れて藪を漕いで崖を登ったところにありました。学生時代はワンダーフォーゲル部でブイブイ言わせていたこの私が4回滑って落ちた。

3回目で断念しようかと思いましたが、父親も見ることができなかった「ワイの土地」や。1回は見ておくべきと思いましたので。

えー動画では「西側」と言っていますが、一番広いのは「東側」です。4回滑って落ちた後に現地を見て半分キレながら撮りましたのでご容赦願いますが、

左の尾根から右の尾根の間。この谷を登っていく方向になります。

で、「保安林」というのがこういう土地で、

保安林制度(林野庁)

  • 立木の伐採:都道府県知事の許可が必要です。
  • 土地の形質の変更:都道府県知事の許可が必要です。
  • 伐採跡地へは指定施業要件に従って植栽をしなければなりません。

この動画で見える範囲すべて、掘ってもダメで、伐ってもダメみたいです。木1本勝手に伐れない。

「ほっとく」しか無いようですので父親がそうしたように私もそうしますが、

去年の4月から「相続登記」が義務化されています。

法務局のサイトに行くとメチャクチャ詳しいマニュアルが置いてありますので、

相続登記が義務化されました(東京法務局)

自宅のパソコンからマイナンバーカードを使って自分で登記してみました。

不動産の所有者が亡くなった(相続の登記をオンライン申請したい方)(法務局)

マイナンバーカードってメチャクチャ便利です。このカードで医者にもかかれますし、印鑑証明も住民票(市町村役場)も取れますし、アマチュア無線の免許申請(総務省)もドローンの登録(国土交通省)もできますし、不動産登記(法務省)もできる。納税(国税庁)もできるはずです。

ただ、「保安林」って固定資産税が非課税なので登録免許税がいくらか分からないのです。

いろいろ調べると「登記官が認定した額」となっていて、

更に調べると「法務局に電話して訊け」と出てきました。

法務局に行ったらこれをいただきまして、

11円/平方メートル

坪36.3円です。

坪「36万円」ではなく「36円」です。

相続した土地は全部で5000平方メートルありますので、この動画を撮った位置が東端とすると奥に向かって小学校の運動場ぐらいの広さはあるのだと思いますが、

全部で「5万円」です。

結局のところは「租税特別措置法第84条の2の3第2項により非課税」なのですが、本当に評価額が100万円以下なのか証明しなければならない。

相続登記の登録免許税の免税措置について(法務局)

いや本当に、この土地35万円で引きとって貰おうかと思っていましたが、

不動産直売所

というか国に引き取ってもらう仕組みができたようですが、ぶっちゃけこの山5000平方メートルの「筆界」を特定するのは事実上不可能です。

相続した土地を手放したいときの「相続土地国庫帰属制度」(政府広報オンライン)

この私が4回滑って落ちた土地まで土地家屋調査士さんに来てもらって測量してもらって、周りの土地の地主さんにも来て貰って筆界を確認して貰ったら何ぼかかるか知りませんが、

「5万円」ならほっとけもう面倒くさいです。

もともと掘るだけでも県知事の許可が要る土地で、崩れて他の土地に迷惑がかかっても周りの土地もどうせ「5万円」ですので。というかそもそも許可が無いと「弄れない土地」ですし。

昭和62年の「前の相続」のときの資料を漁るとこの土地の電算化前の登記簿が出てきまして、最初の頃は明治時代で筆で書いてあるのでよく読めないのですが、

曽祖父(ひいじいちゃん)の時代に、曾祖母(ひいばあちゃん)の実家から回ってきたようです。

それ以来30年おきぐらいに相続→相続→相続を経て曽祖父→祖父→父→私のところに来たようですが、

じっと眺めていて気が付きましたが、登記簿に載っているこの日付はすべて各人の「命日」ですわ。

私も cinquante et un 歳になりまして、流石に折り返し地点は過ぎたのだと思っていますが、

私で7人目ですが、登記簿に名前が載ったということは私の命日もいずれ載るのだと思います。

今年はそんな誕生日でございます。

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合格しました。

合格しました。

前回の続きで、

これで私はブログに「バカ」って書かなくて済みました。

前回、受信が1点足りなくて落ちましたので対策を強化しまして、

  1. 「v」は「ひ」と書く。
  2. 「ネ」と「m」は画数が多いので、「ネ」はひらがなで書く。「m」はこのミミズが這ったような記号を書く。
  3. 「ネ」をひらがなで書くに当たって、「ゐ」と判定されないように注意する。

他のカタカナは気になりませんでしたが、「ネ」だけは画数が多くて筆記に時間がかかりすぎる。ひらがなのほうが画数が少ないので、「ネ」だけはひらがなで書くことにしました。

右下のは私の愚痴です。

その他にも、プロ通信士の方が動画を上げてくださっていますので、

「遅れ受信」と言うものですが、最初に視た時は動画と音声がズレているのかと思ったものですが、聴こえてくる符号は無視して、自分のペースで文字を書いていく。

まあそうすれば「読める文字」が書けるのですが、符号はこちらの都合はお構いなしに高速で流れてきますので、

聴いた符号を文字列に変換して頭の中に格納しておいて、格納しておいたものから順番に出力していく必要があります。

符号を聞き取って頭の中の短期記憶領域のケツから格納して行きながら、短期記憶領域の先頭から順番に取り出して出力していく必要がある。

オンデマンド式に聴いた符号をその場で変換してそのまま出力していくと1点足りなくて落ちることになる。

それかと。

オンデマンド式でやってもギリギリ通る速度に符号の速さが設定してあって、あと1点取れば良いので運が良ければ何回も受けていればそのうちギリギリ受かるのかもしれませんが、

どうやらこの「遅れ受信」に手をつけなければならないらしい。

うへー。

ということに思い至って、半年練習して、まだ訓練中ですが時期が来たので受けに行きましたが、

うまく行った感触がまったくなかったのですが、そこそこ良い点数で合格できたようです。

おそらく実技試験ってそんなもんです。

3年掛かった。もうしばらく「メンコ集め」は良いです。

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the 三日坊主とモールスの話。

前回の続きで、

父親は生涯現役を貫きましたので、金銭の管理は今際の際までほとんど全て自分でやっていて、

通帳のありかがさっぱり分かりませんので葬儀の後で母親と家探ししたときに私の恥ずかしい文書が出てきたのですが、

見事な三日坊主で、何かの見本になりそうです。

まだガリ版が標準だった時代で、私が幼稚園児だった時に書いたものです。年長さんの頃のことだと思いますので44年前のものです。

嫁に見せたら「the 三日坊主」と言って大笑いしていましたが、「あんたは50年間進歩して無い」とも言われました。

そんな毎日毎日、総理大臣でもあるまいし、一般人に毎日特筆すべき出来事なんか起こるかよと、

初日は友達の家に遊びに行って楽しかったのですが、

2日目にネタ切れして、仕方が無いので普段から普通に食っているご飯を初めて全部食べたかのように書いてみて、

3日目には、テレビのアニメやドラマや特撮ヒーロー物でも週に1回なのに毎日毎日宇宙から違う怪獣が現れるかよと、

それがそのまま紙の上に出てしまった物だと記憶しております。

これが生まれて初めて書いた私の日記ですが、未だに私のブログのスタンスは当時のそれが続いています。

確かに50年間進歩していない。

で、

筆記体の練習を続けるうちに気がついたのですが、

「v」と書くときにはひらがなの「ひ」を書けば良い。

どっちが「v」でどっちが「ひ」かは敢えて書きませんが、

筆記体の「z」は縦に「つる」。おそらく次回の試験はこれであと1点取れそうです。

モールスの練習を始めたのはいま調べましたが2021年10月からのようで、もう3年目になります。時々でも日記をつけておいて良かったと思っていますが、

流石にそろそろ受からんと「ばか」って書いてそのままやらなくなりそう。

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モールスの試験と他1点の話。

3月にまた受けて来まして、

これで学科はすべて合格しましたが、モールスの実技(電気通信術)が不合格で、前回と同様に得点開示請求をした結果がこれですが、

「悪意を感じる」とまでは言わないが、「う~ん。。。。もう1回来て」というような何らかの「意思」を感じる点数ではあります。

が、

合格点に1点足りなかったのは実際のところのようで、

基準に1点でも足りなければ全員でも不合格で、基準に達していれば全員でも合格する。

それが国家試験であります。

原因はおそらく、私の字が物凄く汚かったからでは無いかと。

流れてくる符号が速すぎて v か u か n か m かわからんような文字でしか書き取れないのです。

字が汚くて読めなかったらマトモなことを書いていたとしてもO点になると、今年で小3の娘には小1の頃から常々伝えているところではありますが、

実際にそれをやって見せることができるのは親だけなのかなと。

5月末に父親が亡くなりまして、

呼吸が止まるところまで全部見せてくれるのは親(と配偶者)だけなのだろうなと想像します。

私も50になりましたが、統計的に嫁のほうがおそらく長生きすると思いますので、今際の際まですべて見せてくれるのは実質的に親だけなのだろうと思います。

成功したところも失敗したところも全部見せてくれたのが父親でした。

私もそうします。

葬儀の喪主を務めるのも、親の棺を担ぐのも骨を割って骨壺に詰めるのも息子の義務だと思いますので、淡々とこなすだけで、

死亡届と火葬許可証だけは葬儀社の方が代理で手続きしてくださいますが、

他の手続きは行政書士さんや司法書士さんに依頼するので無ければすべて自分でやる必要がありますので、

なかなか「往生」しております(往生したのは父親ですが)。

市役所→法務局→銀行→証券会社 と来たところであります。

父親も個人事業主をしていましたので、銀行も7件回りましたが、同じ文書を作って貰うにも銀行に依って雰囲気が全く違うので面白いところです。

あと、銀行は手数料を直接支払うことができますが、証券会社は現金は絶対に受け取らない。

残高証明書の800円とか1000円とかの金額ですが、窓口に行ってもすべて銀行振込で支払ってくれと言われた。

扱っているモノの違いなのでしょうか。

あと、実印もバンバン押す。

父親の銀行印はもう使えませんので(押してあったら逆に「おかしい」)。銀行に届けてある印影より強いのは実印しか無いからだと思いますが、

実印をバンバン押すたびに印鑑証明がバンバン要る。窓口で手続きすればコピーを取ったら帰ってきますが、郵送で手続きすることになっている銀行も多いので。

市役所と法務局の雰囲気の違いとか、こういうのも同時に回ると色々勉強になります。

休日に朝から市役所と法務局を経由して銀行を15時までに1日に3つ回ってから夕方に娘の荷物を取りに小学校に行くと同じ「役所」ですがまた感じが違う。

いろんな「専門家」のお力で社会が回っているのだなと実感します。

まず最初は病院ですが、

父親が「しんどくないようにしてくれ」と伝えたら本当にそのようにしてくださいました。

膵癌でしたので、5年生存率が10%程度とは手術の前から言われていましたが、開けてみて駄目だったらすぐまた閉じると言われていましたが手術は何とかできたようで、

ただ、おそらく手術の前には転移はしていたのだと思います。

手術は成功したが臨終まで7ヶ月ぐらいだと思います。

肝胆膵の外科は外科の中でもハードな部門だそうで、大変な修行が必要な場所なのだと思いますが、

5年生存率が10%なので、切っても切っても手術は成功するのですが患者が死んで行く。

エラいことキツいと思います。

心臓が止まると機械で遠隔監視していますので、15分後ぐらいに医師が到着されます。

心臓が止まったのは既に分かっていますので、形だけ死亡確認した後で看護師さんによるエンゼルケアが始まるのですが、

経験が浅い看護師さんは半分ぶっ壊れてる。

そりゃそうだよなと思いながら、

台車に載せて貰って頭から布団をかぶせて貰ったら患者でごった返している総合病院の受付ロビーの真ん中を物凄い速さで突っ切って霊安室に入ります。

そこで病院の白衣の人たちから葬儀社のブラックスーツの人たちに遺体が引き継がれます。

ここが「生」と「死」の境目なのだろうと思った。

結婚式もそうですが、葬式も何件かは出ておく必要がある。

やることなすこと初めてのことばかりで割と往生します。

香典を受けとったら何て応えるのか、「ありがとうございます」じゃないよねと言いながらスマホで調べる。

誰を呼ぶのか、何人呼ぶのか、結婚式のように時間を掛けて検討する余地もないので、

1日で全部決める必要がある。

父親の生家があった土地が母親と共有名義になっているのをみつけて、昭和50年の物凄い古い住所から変更が全くされていないことが分かって、

50年の間に住居表示が2回施行されて市制移行して引っ越しも1回していて、要は父親にとっても母親にとっても「どうでも良い土地」なのですが。

書類が揃っている間についでに母親の住所を最新のものに変更するべく不動産登記の手続きを取りましたが、

なんか今日、パソコンに申請書を補正するよう通知が来ていました。

間に引き継いだ「田植え」も入りましたので、

田んぼ→法務局→田んぼ→法務局から電話が来て母親を伝令で出したり、

そんなところですわ。

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