人名の取り扱いについて

人の名前って取り扱いが大変ですよね。

名前だけが自分の知らないところで書類の上を独り歩きしますし、生物学的なヒトの個体と文字列のあいだに何の因果関係も無い。

コロナ禍直前の「ゴーンショック」のときに、日産自動車の社長だった西川氏の読みは「サイカワ」で、知らないともう読めない。

固有名詞は本人に訊かないと全く分からないものですが、訊いたら怒られる場合もあるし厄介です。

この動画、新入社員の研修に使えそうです。

娘が見つけてきて、連休中に延々と見てました。

モールスとめまいと参観日とアンテナの話。

色々ごちゃまぜですが、

1.モールスの試験の話

3月半ばにモールスの試験を受けてきました。

私がモールスの練習を始めたのは昨年7月のことで、流石にプロ通信士のモールス試験に8ヶ月で受かるとは思っていなくて、

場慣れと、様子をみるために受験しに行ったようなものなのですが、色々と課題が見えました。

まずは筆記体の練習から。

筆記体は中1の頭に少しだけ練習して、こりゃ無理だと思ってそれ以来試験の類はすべてブロック体で受験してきたのですが、

この歳になってもう1回、筆記体の練習をすることになるとは思ってもいませんでした。

モールスの試験ではこちらの都合は無視して高速な符号を一方的に送りつけてきますので、カタカナをヘンな草書体で書かないと間に合わないことは以前書いた通りなのですが、

アルファベットも当然同じです。カナはざっくり50文字あって、アルファベットは26文字あると思いますが、数が少ない分、符号も短いのでカナよりより高速になります。

ブロック体で書いていると間に合わない。

上の写真は、筆記体の「Z」の練習です。

中学生の時に1回やったことはあるので、何とか「思い出す」ことができています。日本の義務教育システムって凄く良くできていると思います。

「高速音感法」って言う練習方法を試してみていて、

普通はゆっくりな符号からだんだん速くしていくらしいのですが、

最初から速い符号で、符号の速さは変えずに符号と符号の間隔を最初は長くしておいてだんだん正しい長さに縮めていきます。

赤ちゃんとか、日本語に不慣れな人に話しかける時にはゆっくり話しかけると思うのですが、

「か」は「か」なので。それを「k」と「a」に分割して発音したら日本語の「か」では無くなってしまう。「か」をゆっくり喋るとしても「くゎ」みたいな言い方はしないと思います。

音節はそのままで間隔を空けることで「か」は「か」としてそのまま理解する方法のようなのですが、そういう方法に対応したアプリが探した範囲では何処にも無くて、

仕方が無いのでごく簡単に自分で作りました

カナかアルファベットを適当に入れて再生ボタンを押すと音が出ます。

で、それは良いとして、

2.めまいの話

3月半ば、私がモールスの試験を受け終わったある日に、娘が朝からゲーゲー吐き始めて、

ノロか、(コロナか)、とにかく吐くのとフラフラするようなので病院に連れて行ったら「ノロとかコロナでは無いっぽい」と言われて、

吐くからフラフラするのでは無くて、フラフラするから吐く、ということらしくて、

下痢もしていないし鼻水も咳も出ないし熱が無いのでそういうことらしいのですが、

どうも体よく受診を断られたっぽくて(脱水していたので点滴はしてくださいましたが)、小児科でもクリニックだと嫌がるみたいです。6歳児のめまい。

それでかかりつけの耳鼻咽喉科に行ったところ、「小児用の目眩の薬が無い」と断られて、

「めまい」って難儀するようです。急になっためまいって脳とか耳とかの緊急的なヤバい系の原因のことがあってそれかどうかはCTとかMRIとかで頭蓋骨の中を調べないとはっきりしたことが分からなくて、

慢性的なものだと直ちに死にはしないがなかなか良くならない。どっちにしても難儀します。

小児科も耳鼻科も嫌がる6歳児のめまい。

舟入のほうにある病院の小児科まで行って脳の中とか血液とかを調べて貰って、

「先生の指と自分の鼻を交互にさわれ」と言われたらしくて、娘が「バカにすんな」とキレたらしくて、

勘弁してくださいよ。

それ柔道整復師でも知ってるレベルの、神経の大事なテストなんです。

引用:中嶋秀人「3分間 神経診察法 ―最も簡単で効率のよい考え方・進め方―」p59 総合医学社(2011)

まあ「病気では無い」ことがわかりましたので、整体でのんびりやっていくしか無いです。

肩と頚がガチガチだとめまいがする場合があって、病気でなければこれを柔らかく維持すれば割りと改善する場合が多いので、

整体師的には産まれて6年でこんなにガチガチになるのか、というレベルでガチガチでした。経理一筋腰痛持ち慢性的な肩こり偏頭痛持ちのデスクワーク20年選手のレベルでガチガチでした。

肩と背中を触った瞬間に、無意識に腰痛くないかと訊きました。

肩や頚の筋肉がガチガチに硬い人ってまだ字も碌に書けないような幼少期からすでに硬いのかも知れない。勉強になりました。

3.参観日の話

それで娘もこの4月で小学校に入学しまして、

通学路にあるカーブミラーなのですが、

昭和56年度。廿日市「町」。

quarante-huit 歳の私が小学校に入学したのは計算すると昭和54年の筈なので、私が小学3年生の頃からこのカーブミラーはここにあったらしいです。

ある日突然、学校の帰りにいつもの通学路を歩いているとピカピカのカーブミラーがここに設置されていたことは覚えています。現物を見たら思い出しました。

娘が歩く通学路は風景こそだいぶ変わっていますが、私が歩いた通学路と同じなので。多分、私の父も同じ小学校を卒業しましたので同じ道を歩いているはずです。

私が小学校を卒業してから36年経っていて、ほぼ36年ぶりに通学路を歩いてみると変わっていない建物も多いのですが、カーブミラーもそのまま残っているとは思わなかった。

「参観日」を外から見るのは初めてです。廊下にご父兄が鈴なりになっています。

参観日の日って外から見るとこんなふうに見えるのか。コロナの影響で、室内には入っても良いのですが、あまり大人数は入れなくなっています。

小学校の建物ですが、quarante-huit 歳の私が通っていた36年前と全く同じで、これはビックリしました。

入学式の日には、家族で教室に入室して、娘を教室に置いて父兄は体育館の父兄席で待つことになるのですが、

卒業式の日に、式が終わった後で式場となっていた体育館から出て、クラスの男子全員でウエウエ言いながら変なテンションで猛ダッシュしながら教室に戻った、

その体育館までの渡り廊下を36年ぶりに父兄として逆に歩きながら、体育館に入ります。

娘が使うことになった下駄箱は、私が小5のバレンタインデーの日に私の靴の中にチョコが突っ込まれていた、まさにその下駄箱の向かいの列の裏にあります。

私が小3のときに給食当番の時間に牛乳パックを落として裂けてエラい目にあった廊下を通って、

廊下に手洗い場があるのですが、娘が今年1年使うことになるこの手洗い場は36年前そのまま。

教室も手洗い場もそのままですが、こんなに小さくて狭かったかと。

参観日の日の授業の科目は「こくご」で、教科書の音読が始まります。

引用:秋田喜代美ほか「あたらしい こくご 一上」pp1-2 東京書籍(2020)

私が小1だった42年前の国語教科書の最初のページは「たかい たかい」だったと記憶していて、もう少し地味な挿絵だったと記憶していますが、

はーい。じゃみんな最初のページを開いて?先生に見せてください。

35人か30人か忘れましたが、このページを開かせて先生の方に見せさせると35人のうち違うページを開いている子が居るか居ないかすぐに分かる仕組みになっています。

とん とん とととん はじめるよ ハイ

とん とん とととん はじめるよ

インフラ設備等のハードウェアは36年前と変わっていないが、

こういうソフトウェア的なノウハウの類はどんどん進化している。

そのように思いました。

授業風景を廊下側から傍観者として見るのは学生時代には成し得ないことで、私も生まれて初めてのことで、廊下に居ますから何とは無しに隣のクラスの様子も見えるので2つのクラスの様子を眺めていたのですが、

同じ内容をやるにしても進め方は色々なんだなと、勉強になりました。

帰りに、私が小1のときに大を催した際に、駆け込んだらどういうしゃがみ方をして用を足したのか(和式です)本来足を置くべき場所に大きな落とし物が1本落ちていて、

当然、除けないと正しい位置に足を置けないのでオエってなりながら落とし物を片付けて、片付けたとしても小1がホースを引っぱってきて水を掛けてブラシで擦れるわけでもなく、他のトイレに行くほど機転も利かず、

せっかく取り除きましたがそこを踏むと間違いなく靴に運がつきますので、42年前に掃除だけして黙って教室に戻った、まさにそのトイレを見学に行きました。

きれいな洋式に改装してある感じがしました。

4.アンテナ撤去の話

長らく懸案だったテレビ受信用屋外アンテナを撤去しました。

錆びてて曲がっていますから、いつか台風が来た日に飛んでいくのでは無いかと心配していましたが、暑くもなく寒くもないこの時期に撤去できて良かったです。

アンテナって地上に降ろすと思っているより巨大なんですよね。下の写真右側の真ん中にある魚の骨みたいなのが上の写真左側の上下に並んだ上の方のちっこいほうのアンテナです。

下の方のでっかい方はテレビが地デジになってから不要になりましたので、バキバキに折ってのこぎりで切ってから部屋に入れましたが、ちっこい方はまた使うかも知れないので残しておきました。

連休前のこの時期は毎年わりと暇になります。懸案事項が色々片付いて良かったです。

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パソコンのデータが飛んだ話の続きと、机の話。

前回の続きで、

インターネットで探したデータ修復ソフトをインストールしてハードディスクをチェックしてみましたが、まあ9割方回復できた、と言うところだと思います。

2台のハードディスクのデータが全く同じように壊れていて、修復させても同じファイルが修復できて同じファイルが壊れたまま修復されていますので、ハードディスクの問題では無いように思いました。2台とも全く同じように壊れているため、電源のスパークでデータが壊れたのでもない感じがしますので、

マザーボードが元々故障していたのでしょうか?壊れたマザーボードが2台のハードディスクに間違った同じ指示を出せば2台とも同じようにデータが壊れます。

OSが起動しなくなった時点でハードディスクを取り出してデータを吸い出せば良かった。

そんなところで、少しの手間をケチったばかりに物凄く無駄な工数を浪費しております。

それで、「機械は壊れる」ものとして、良いバックアップの方法が無いか探しておりましたが、

長期間のデータ保存はどうすれば良い?おすすめの方法やポイントとは
https://www.pro.logitec.co.jp/about_hdd/hddssd/20200717/

ハードディスクは「壊れるもの」で、SSDやUSBメモリのデータは「消えるもの」です。

ついでにマザーボードもメモリも壊れるときは壊れます。

で、「M-DISC」というものをみつけまして、M-DISCで調べてまわると、

M-DISCとは ―生涯保存光メディア―
https://www.iodata.jp/ssp/verbatim/m-disc/m-disc/index.htm

M-DISCとは、耐久性を高めたブルーレイディスクやDVDのことです。数百年にわたってデータを保存することができ、データの読み込みは一般的なドライブで可能な為、企業の歴史や重要な情報をデジタルアーカイブする場合に最適なメディアです。

データ記録時にはまるで石に文字を刻むようにレーザーで物理的な凹凸を生成していきます。記録膜の金属系素材は劣化しにくいため、従来型のディスクと比較して耐久性が飛躍的に向上しています。

https://www.iodata.jp/ssp/verbatim/m-disc/m-disc/index.htm

「石に彫る。」何て素敵なんでしょう。ミロのヴィーナスもダビデ像もめちゃくちゃ長持ちしています。

私が求めていたものはそれです。

このところ無駄な工数がかかって時間をめちゃくちゃ浪費していて頭に来ましたので、

amazonで検索してM-DISCの100ギガバイト✕5枚入りのものと、違うメーカーのドライブを2台、購入することにしました。

光ディスクはちゃんと書き込み出来たかチェックが必須です。職場のパソコンで焼いたDVD-Rを客先に持ち込んだ際に、客先のドライブで読めなくて何度途方にくれたか。

書いた機械で読んでも問題なく読める場合があります。他の機械に入れると読めなかったりとか。

とりあえずサルベージした自宅のパソコンのデータと、ついでに職場のパソコンのデータも一緒に、味噌もクソも一緒くたに数百年保存が効く(らしい)ディスクにぶち込むことにします。

とりあえず全部ぶち込んで、掃除はその後にします。

娘の机

お父さんの机

娘が4月から小学生になりますので、机の準備をしました。

家具屋さんで売っているような学習机は自分の部屋がない場合に置き場所が難しく、当面は食卓で家族と一緒に(家族が見張っている場所で)宿題をすることになると思いますので、

嫁の発案で机は簡単なものにしています。

学習机って小学生のうちは大きすぎて持て余しますし、いざ本格的に勉強しようとすると小さすぎて使えないんです。

右利きの人なら右手でペンを持ったまま左手で資料を見ますので、左に広いエリアが必要なのですが、

学習机はデスクトップの右下半分に引き出しが着いていて、真ん中より左に座ることになりますので、右のエリアが広い割に左は極端に狭い。

左利きの人はそれで良いのかもしれませんが、

2010年の今頃ですから私が専門学校生だったのは12年前の話になりますが、ちょっと本気で勉強しようとするとL字型の机が要ります。

パソコンで調べ物をしながら巨大な本を2冊とノートを拡げるとこのぐらいスペースが必要で、右利きであれば左に長く無いと困る。

今はそこまで必要で無いので、L字型の机は分割して自宅と職場に置いていますが、

私が現役の学生だった30年前と比べても、ノートの他にパソコンやタブレットを置く場所も必要になっているので、

凄い場所を食います。12年前にそう思いました。

娘には机を与えましたので、あとは机の上をキレイに維持するかどうかは娘の自己責任です。

6歳だろうが48歳だろうが机の上が汚いのは「自己責任」です。

そして、

48歳の机の上が汚かったら、6歳の机の上も汚くなる虞があります。

机の上を片付けろと言っている自分の机の上が汚かったらどうにもなりませんので、

私も気をつけなければならない。

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パソコンのデータが飛んだ話と通学路の話。

もう「恐怖」でしかありませんが、

自宅のパソコンの調子が随分前から悪くて、時間も無いので放ったらかしにしていたのですが、先日久しぶりに電源を入れるとOSが立ち上がらなくなっていて、

この時点でハードディスクを取り出して職場のパソコンでデータを吸い出せばよかったのですが、

まあ大丈夫だろうと。OSを再インストールして、

一応立ち上がったので、机の周りを整理して、パソコンの電源ケーブルをコンセントに挿し直したのですが、

壁のコンセントに挿し直した瞬間にコンセントの中で「パチッ」と火花が出て、

もう嫌な予感しかしませんが、

パソコンの電源を入れても音はしますが最初の起動画面も一切出なくなって、この電撃で自宅のパソコンのマザーボードが壊れたようです。

マザーボードは交換することにして、蓋を開けてハードディスクを取り出して職場のパソコンに繋いだのですが、

「無い」

最悪なことに「中身が(中途半端にしか)無い。」

今年で6歳の娘が生まれたときから今までの写真が全く見当たらないことに途中で気がついてよかった。

考えてみたら、平成25年生まれの娘は生まれた時から「フィルムカメラで撮った写真」というものが存在しないのです。

写真も動画もすべて「パソコン」に入っています。

ネットでデータ修復ソフトを探して15時間掛けて「サルベージ」しましたが、戻せたのは9割程度だと思います。おそらく1割程度のデータは死んでしまいました。

ハードディスクもUSBメモリも、今流行りのSSDも、スマホに挿してあるSDカードも、

仕組みとしては「そろばんの玉を上にやったり下にやったりしてあるだけ」ですので、

めっちゃ怖いですよ?

そろばんを揺さぶったらそろばんに入れてある数字が全部消えるのと同じで、

ちょっとした衝撃で消えるときは全部消えます。

で、部分的に残ることがあるからまた嫌らしい。大事なデータが消えたことに気が付かなかったらそれでアウト。

死ぬかと思った。

銀行とか、ネットゲームの会社もですが、データが飛んだら会社が潰れますので、データが飛ばないように物凄いカネが掛けてあります。

個人ではそこまで出来ませんので、

現状、バックアップを取るにはDVD-Rに焼き込むのが一番マシと思います。少なくとも電撃や磁気には強い。少々落としても踏んでも壊れない。

ただこれも「マトモな機械」で「マトモに焼き込んだ」場合だけで、焼き込んだ面を長時間日に当てたり、車の中とか高温になる場所に放置すると危ないです。

DVD-Rには5ギガバイトぐらいしか入りませんので、割ともうホームビデオで撮った運動会や発表会の高画質な動画とかは飛んだら飛んだで諦めるしか無い。

電気屋さんで売っているちゃんとしたメーカーのUSBメモリを、違うメーカーものを複数買って来て、それぞれに同じものを書き込んで別々の場所で保管しておくぐらいが妥当なところでしょうか。

これと、高画質の動画は飛んだら諦めるとして写真だけはDVD-Rにこまめに焼きこんで保存して置こうと思います。

写真が無いと娘の結婚式の時に小さい頃の写真が一切ない、みたいなことになってお父さん一生恨まれます。

危なかった。

USBメモリはあまり安いのはダメです。2テラバイトで2000円ぐらいのUSBメモリがネット通販であるのですが、これを2本買って娘の写真は別々にバックアップしていたのですが、確認したら両方とも中身が消えていました。

上のサルベージソフトでも読めなかった。

ハードディスクも2重化していて、パソコンの中に入れてある2台のハードディスクに同じ内容を2つ書き込むような設定にしてあるのですが、

両方確認しましたが両方とも同じようにデータが壊れていました。

大事な写真はバックアップを取った上で、カメラ屋さんのプリント機で印刷してアルバムに貼っておくのが一番良いのかもしれない。

自戒と注意喚起のために書いておきます。

娘が4月から小学生ですので、休日に一緒に学校まで通学路を歩いてみました。

ゴミ置き場の看板ですが、「廿日市『町』公衆衛生推進協議会」とあります。

佐伯郡廿日市町が単独で市制移行して廿日市市になったのは1988年(昭和63年)4月1日ですので、今年が2022年ですから34年前になりますか?

私が14歳の中学生だった頃の話で、

この看板は34年以上、ここで日晒し雨晒しだったわけですが、昔の看板ってめちゃくちゃ強いと思います。

娘が歩くのは私が歩いた通学路と同じ道なのですが、

この看板はもしかしたら私が小学生の頃に見ていた看板なのかもしれない。

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地震の話。

昨日の夜、地震がありましたね。

寝ようと思って準備をしていた時にガラケーとスマートフォンから緊急地震速報が聞こえて、

市の防災放送でもどこか近所の2ヶ所のスピーカーから同じチャイムがダブルで聞こえました。

取り急ぎ落ちたら困るものを床の上に置いて、寝室のドアを開けてリビングに明かりをつけて

サーフィンのように腰を落として身構えて揺れが来るのを待ちました。

もう27年前になりますが、兵庫県南部地震の際に姫路の山奥に住んでいて、

1月17日の早朝6時前だったと記憶していますが、

当日は前日の夕方にコーヒーと紅茶を飲んだために眠れなくなっていて、ベッドの布団の中で眠ることが出来ずに朝方までゴロゴロしていたのですが、

山の木が妙にザワザワ言い始めて、鳥か獣か分かりませんが、何かが何頭か悲鳴を上げるように鳴き出したような気がします。

今まで聴いたこともないようなゴゴゴというような地鳴りの音が聞こえてきて、

これは何か来る、

と布団の中で身構えていましたが、

コーヒーと紅茶を飲んだせいで明け方まで一睡も出来ておらず、言わば「アイドリング状態」で布団の中で待機していましたので、

揺れが始まった瞬間に飛び起きて取り急ぎ天井まである本棚2つを押さえました。

姫路市まで来ると人的物的被害は殆ど無かったのですが、

余震が凄かった。

1週間ぐらい、一日中カタカタと3~5分おきに建物が揺れるのです。

最初は気にしていなかったのですが、何十回も揺れるとまたアレが来るのかと思えばそれで心臓がドキドキして来てそれがストレスでした。

日本には「言霊信仰」ってあって、

言語そのものに霊力が宿っているとする信仰で、言葉にして発すると良くも悪くもそれが実際に起こると考える信仰で、

「縁起でもない」って言うアレですが、

防災に関しては悪い方に作用していると思います。

コロナの対応が後手後手に回っているのもそれが原因と思います。Ο株の件もすぐ来るのは分かりきっているのに初動は「遅れた」のでは無いかと思います。

南海・東南海地震は我々が生きている間に必ず来るものですので、準備だけはしておきたいものです。

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