松江城。
母親の還暦のお祝いです。
三次まで高速道路に乗って、そこから100kmばかり54号線を走ります。
ということで松江城です。
石垣も建物の壁も黒いので何だか圧倒されてしまいます。
築城当時の松江の様子だったか、江戸時代の様子だったか。
湖に浮かぶ人工島という感じです。
川だったかも知れません。
耳の話はよしとして、
外に出ると、みんなを悩ませるこれがあります。
杉。
この茶色いのは全部花粉でしょうか。
うへー。
堀の様子。
ものすごくでかい。
向こうから船が来ます。
どうもこの堀は一級河川の一部のようです。
それはでかいです。
武家屋敷に行ってみます。
今で言うお役人の官舎みたいな感じでしょうか。
奥で何やら密談しているのが見えます。
夏を基準に作るからでしょうか、
とにかくあけっぴろげで、冬のこの時期はさぞかし寒かったのではないでしょうか。
この日は2月の最終日で、寒めでしたので、余計にそう思ったのでしょうか。
瓶が半分家に埋まっていました。
これ交換するときは大変だったと思います。
歩いて15歩ほどのところに井戸があります。
そこから水を汲んで来てここに入れて、内側から台所仕事の時に使ったようです。
立派な床の間です。
この字は和歌山って書いてあるのかと思いましたが、
なんか違うようです。
食事の前に浴衣に着替えて風呂に入ります。
褌と浴衣は相性がよいです。
というか、それが本来のあるべき姿。浴衣なら褌だろうと。
そうは思いませんか?
それで蟹を2杯その他を食って、
父親に連れられて夜の街に出ます。
さて、着席して、父親は酒を飲む間もなく歌を歌わせろと言い始めます。
そして、俺は歌がうまいから、俺が歌うと客が帰るんだと。
そして、歌い終わったところで、10人ぐらいいた京都からの団体さんが
ホンマに帰りました。
ほら、俺が歌うと帰るだろうが。頭にマンジュシャゲが乗ってるおねーちゃん。
―それはたまたま時間が来たからで、歌とは関係ないですから。それから、マンジュシャゲではありません。
現に、半分も歌っていませんでした。
そして残り半分も、歌うというか、メロディーは完全に無視して詩を「朗読」している感じでした。
朗読です。小学生が国語の宿題で本読みするような感じ。
それも全く関係のない音楽のCD(もしくはラジオ)をかけながら。
しかし歌とは関係のないダンスとマイクパフォーマンスは最高でした。
ダンスとマイクパフォーマンスで京都の団体さんをノリノリ(死語)にさせていました。
そしてしばらく酒を飲みながらマンジュシャゲを触ったりしていましたが、
後ろで別のお客さんの相手をしていたママにちょっかいを出します。
婆あ。お前はさっきから座ってばっかりで全然仕事をしとらんが、
お前は何年生まれか?
―32年。
1932年か。
(1932年は昭和7年に当たります)
もう1曲歌うと言い始めました。
歌い終わると、1人残っていた地元の社長らしき人がホンマに帰っていきました。
どうも父親は歌がうますぎて、警察が来たことがあるそうです。
この人はさっきから機嫌よく歌を歌っているが、客がどんどん帰っていく。
それにしても歌がうますぎる。わざと上手に歌って、営業妨害をしているのではなかろうか。
歌は上手ですが、よくわからないダンスとまるでプロレスのようなマイクパフォーマンスは最高でした。
そして何より、これで私と妹を学校に行かせてくれた。
ママは奥へ引っ込んでさっきからずっと洗い物をしていますが、
私は特に何も言うことはありませんでした。
この店では。
で、はしごします。