漢字と土佐日記と電気工事の話。

娘が漢字を書くようになりまして、

嫁が持ってるすみっコぐらしの映画の本をみつけてきて、

漢字にルビが振ってあるのでこういうの好きなら読めちゃうようです。それで簡単な漢字を書いて練習しているようです。

どのみち4月から小学校に入れば来年の今頃には習う漢字なのですが、やったらいけない理由も無いし勉強はやりたいときにやりたいことをやるのが一番良いので好きにさせてます。

それで、絵本を良く読むのでいちいち全部買ってたらキリが無いので嫁と図書館に行って本は借りるようにしています。

ついでにお父さんが借りてきた本。

森山京「21世紀によむ日本の古典4 土佐日記・更級日記」ポプラ社(2001)

両方とも国語の古文の時間に出てくる有名な作品で、作者が誰かぐらいは知っていますが、マトモに読んだことはありませんので、

現代語に「翻訳」してあるシリーズ本がありましたので借りてきました。

はつかいち市民図書館の入り口を入って、中をそのまま真っ直ぐ進むと突き当りの壁のあたりにあります。

土佐日記は紀貫之の有名な「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」で始まるアレですが、

中学でも高校でも国語の時間に「旅行日記」と習いましたのでそう思っていましたが、潮待ちとか風待ちとかはただの舞台装置で、本題は全く別の場所にあります。

高知での4年間の任務を終えて京の自宅に帰宅するまでの50日間の日程を書いたものですが、

高知から京都までの距離は1000年前も今も変わりませんので、歩いて帰ればもう少し早いのだろうと想像しますが、任地の高知は船で2ヶ月近く掛けて帰って来ることを考えると現代の感覚で言えば「南極大陸」ぐらいの感覚でしょうか?

その南極大陸に、文中に言及されてはいませんが「何かを置いてきた」。

その「本題」が無ければわざわざ文章にしなかったのでは無いかと想像しますし、旅日記を装って第三人称を使って書かれたのもそれが理由と思いました。

紀貫之氏は役人として公務で派遣されていますので、この文章を公表して、誰が何を書いたか明言することを避けたのだと想像します。

あと、高知には同名の銘菓がありますが、土佐日記に限らず有名な文学作品の名前が付いているお土産を買ってくる際には気をつけなければならない。

文学作品や映画の場合は特にネタバレを防ぐためにあらすじはぼかして書いてある場合がありますので、ちゃんとそれ読んだり観てから買って来ないと下手に贈ると人間関係が破綻する場合があるのではないかと想像します。

まあそのくらい衝撃的でした。ただの2ヶ月足らずの旅日記が1000年以上残っている理由が解る。

現代語訳で60ページぐらいですので、時間があれば読んでみてください。

更級日記も1008年生まれの女性(菅原孝標女)が書いた作品ですが、今が2022年ですから「ちょうど1000年前」に生まれた女性が書いた作品ですが、

人間の悩みは現代も1000年前もそんなに変わっていないのでは無いかと想像します。私は男なのでピンと来ない場所も多かったのですが文化や風習の違いはありますが違和感なく普通に共感しながら読めるのが凄いと思います。

もう1点、

正月休みの間に、横着をするために頑張って努力しました。

枕元に電気のスイッチを付けた。寝たまま手を伸ばしただけで電気が消せます。

家の電線に直接結線しようとすると「電気工事士」の免許が必要なのですが、

電線をカバーに通さずに結線しました。

蓋ができないので悩んでおります。

ここらへんが「素人電気工事士」の限界だと思います。

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