このところ4歳の娘が家でドリルをするようになりまして、
迷路とかパズルとか指定された場所に指定された色を塗りましょうとか数字を1から順番に線を引きながら辿って行って絵を完成させましょうとかそういう系ですが、
お父さんも付き合いで勉強することにしています。
娘のドリルの表紙にはねずみさんの絵がかいてあって、お父さんのドリルの表紙にはカバさんの絵がかいてあります。
ねずみさんはピクニックに行っておむすびを食べていますが(ペンをしっかり握ったままですが)、カバさんは(おそらく)巨大な石油タンクを見張っています。
同じと言えば同じ。
娘のドリルの謳い文句は「たのしみながら おべんきょう」
お父さんのドリルは「覚えてすぐに問題が解いていける!」
どちらも「このドリルを使えば効率が良い」、と謳っている。同じです。
娘は名前のはじめに「わ」が付くものを辿るパズルを解いていて、お父さんは物質量とアボガドロの法則の復習です。
すべての物質には物質の性質に依らず共通の法則があると。
同じと言えば同じ。
11年前のことになりますが、35歳も過ぎてから専門学校の夜間部で解剖学の勉強をしていた時、ふとそんなことに気がつきました。
内容が小難しくなっているだけで、勉強の基本って保育園児がするものであろうが大人がするものであろうが同じだなと。
新しい概念を頭に入れていく作業には苦痛が伴います。それは大人も子供も同じなのですが、子供に勉強させようと思えばまず親が手本を示す必要があると思います。
親がテレビを観ていて、子供にだけ勉強させようとしてもまあ無理です。勉強せずにテレビを観ていても現に親はやって行けているのですから。
逆に言えば、親が鼻水やいろんなものを垂らしながら家で必死こいて勉強していれば子供も本能的に勉強しないとヤバいことに気付くと思います。
漢字検定でも宮島検定でも良いのでまずは親がやってみせることかなと。私はそうするつもりにしています。問題が解けたら娘のドリルには嫁がスタンプを押して、私のドリルには娘がスタンプを押します。
頭を使うと糖分が欲しくなるので、3人でお菓子をつまみながらボチボチやっております。その日のノルマを達成したらみんなで遊ぶと。私は経験無いのですが、学生カップルってこんな感じなんですかね。