現在の様子。隣の建物は防災記念館だったか、
正月でしたので例の如く入れませんでした。
大野木場(おおのこば)小学校。
当時私は7歳でしたが、今でもよく覚えています。
17歳です。
高校卒業後の進路を決める時期で、
いろいろな不安を抱えながらテレビのニュースを見ておりました。
ここへ初めて来たのは18歳の冬でした。
夏に車の免許を取って、生まれて初めての遠出でございました。
小さい軽自動車に3人、夜はパズルのようになって
やっぱり車中泊。
車は当時でも既に型遅れの550cc。
クーラーなんかはついてなくて、ラジオはAMしか入りませんでした。
CDやMDはおろか、カセットを差し込むところすらありませんでした。
あれから17年。((c)綾小路きみまろ)
私が生まれてから、
この山が最後に噴火するまで17年。
噴火してから18年。
橋と、私の車はよくなりましたが、
山と、私がやってることはあまり変わりません。
そんなことに今さら気づいた35歳直前の正月でございました。
なかなか完結しない長いたびの記録、楽しく読ませてもらってます。
普賢岳の噴火すごかったのがわかりますね。
小学校の校庭で二人の人何してるんでしょう?火砕流が迫っているのに。
しかしすごい写真ですね。
ほんとだ・・・大噴火しとるのに・・・その後の彼らはどうなったのでしょう。噴火するまで17年、してから18年・・・足すと・・・そうか!こに先生の歳がわかったぞっ45歳か!
>トントン様
次回、完結編です。
長崎市に出ます。
狙って撮ったのなら凄いですよね。
ずっとカメラを持ち歩いていて、それを持って避難したのでしょうか。
それにしてもこの雲、これの熱で窓ガラスが全部割れて
教室の中が全部焼けたかと思うと、自然の中で我々はちっぽけな存在ですね。
>TOY-mama様
その後彼らは18歳歳をとりました。
当時10歳だとすると今は28歳ですか?
そういえばそのくらいの歳の人が数人、来ていました。
正月でしたし、帰省して学校を見に来ていたのかも知れません。
それから、足し算が間違えています。
当時私は7歳でしたので、
今は25歳です。
おーーーーーーーーぃ。こに先生ーーーー先生も相当足し算間違ってますぜ。
>TOY-mama様
No Probremでございます。